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1949年

鳥取県倉吉市出身。

13歳からサックスを吹き始め、1964年に佐々木 道也 氏、山本 力 氏、1966年より 阪口  新 氏に師事。

 

1973年

東京藝術大学 音楽学部 器楽科 卒業。

 

1975年

ジョー・ヴィオラ(バークリー音楽学院)、ジョー・アラード(ニューイングランド音楽学院)、チャーリー・マリアーノ、フィル・ウッズ等にも師事。

 

1976年

バークリー音楽大学卒業(ボストンU.S.A)  その後1年半、同校で講師を務める。

 

1977年

ボストンからニューヨークへ進出。スティーヴ・グロースマンに師事。

ポール・ジェファリー(ジュリアード音楽院講師)の率いるバンド(八重奏団)に参加。

 

1978年

デューク・エリントン楽団(マーサー・エリントン指揮)、チャールズ・ミンガス、ジャック・マクダフ等と共演。

 

1979年

名門ライオネル・ハンプトン楽団に迎えられ、同バンドのリード・アルト兼コンサートマスターに就任。

 

1983年

JVCと契約、11月デビュー・アルバム「MALTA」を発表。

それまでの日本のジャズ・フュージョン系にないオリジナルなMALTAサウンドが高く評価され、TVCM等を中心にまたたくまにMALTAの名前を浸透させる。

 

1985年

角川書店より自己の半生記・自叙伝「マンハッタン・ドリーミン」を出版。

 

1986年

アルバム「スパークリング」発表。 大ヒットとなり、発売と同時にオリコンTOP10(CDチャート)に入る。

86年度ADLIB誌のフュージョン・ベスト・レコードに選出。

 

1987年

アルバム「スパークリング」で第一回日本ゴールド・ディスク大賞を受賞。

初のL.A.録音アルバム「ハイ・プレッシャー」を発売し、爆発的なヒットとなる。

87年度ADLIB誌の読者投票(サックス部門)、Player誌の国内ベスト・プレイヤーで堂々一位に輝く。

アルバム「マイ・バラッド」発売。

 

1988年

GRPレコードを通じて、アルバム「ハイ・プレッシャー」が全米発売。

その後、L.A.録音のアルバム「オブセッション」、自身プロデュースによる「マイ・ヒット&ラン」も続けて発売される。

 

1989年

アルバム「サファイア」より”フェイス・トゥ・フェイス”がアジア太平洋博覧会’89で上映の「夢をかけるバルーン」テーマ曲として、また同曲はテレビ朝 日の「野口英世博士記念国際親善センター設立キャンペーン」メインテーマとなる。

Atlamアトラムレーベルを設立し、初のスタンダード・アルバム「マイ・フェイバリット」を発表。

 

1990年

4年連続ADLIB誌の読者人気投票(サックス部門)、Player誌の国内ベストプレイヤー、堂々第一位に輝き一段と注目を集める。

 

1991年

Atlamアトラムレーベルより、小曽根 真やB・B・モフランのアルバムをプロデュースし自身の音楽的領域の新生面を切り開く。

初のN.Y.録音アルバム「Excelsiorエクセルシアー」発売。

 

1992年

デビュー10周年を迎え、新境地を拓いたアルバム「Cocageコカージュ」では、サウンドクリエーターとしての触覚の鋭さを表した他、TVドラマのサントラ盤「ニュースなあいつ」、2枚組み「ベスト・コレクション」を集中リリース。

 

1993年

故郷の鳥取県で開催された博覧会”フルーツコレクション倉吉93”のテーマ曲を作曲する。

アルバム「ベスト・ワン(決定盤)」を発売。

アルバム「My Sopranoマイ・ソプラノ」より”ブル・ルン・ルン”が日本初のレーシング・カートの祭典「’93 Japan Kart Festival」のテーマ曲となる。

 

1994年

自身の恩師でもあるオルガン奏者のジャック・マクダフを迎え、直球で勝負する。

MALTA入魂のジャズ/フュージョン・アルバム「Feliciaフェリーシア」を発表。

尚、タイトル・チューンの曲は後世に残る名曲と絶賛を浴びる。

また続いて、MALTA初のウォルト・ディズニーの名曲集「When you wish upon a star星に願いを」を発表。

 

1995年

完成まで8年の構想期間を費やした教則本「MALTAのジャズ・ポップスサキソフォーン入門」を音楽之友社より出版。

続いて、MALTA自身のプロデュースによる初のCD-ROM「Lover's Streamラヴァーズ・ストリーム」を発表。

当時一番注目を浴びていたマルチメディアの分野に進出し、 音楽とフォトグラフィックスで新しいMALTAの世界を展開する。

 

1996年

20作目となるアルバムは、モダンジャズ・ヒット曲の数々をカバーした「UK Undergroundユーケーアンダーグラウンド」(ロンドン録音)を発表。

今期アルバムには、UKヒッ プ・ポップ・シーンの最先端をいく”インコグニート”のメンバーが参加し、グルーヴ感溢れる新たなMALTAのUKクラブ・ジャズ・サウンドが誕生!

尚、 発売前より話題を呼んだこの作品はヨーロッパで先行発売された。

 

1997年

京都造形芸術大学の客員教授に着任。

又、東京コンセルヴァトア-ル尚美の特別講師になるなど、教育的音楽面にも力を入れる。

6月、ロンドンレコ-ディング第2弾「CINEMATRIXシネマトリックス」発表。

このアルバムでは、世界初のプラチナ・プレイテッド・アルト・テナーサックスを使用して

発売と同時に話題を呼んでいる。

 

1998年

シーズンベスト第1弾「サマーベスト」を発表。

L.A.録音「Apasionadoアパシオナド」を発表、元タワー・オブ・パワーのグレッグ・アダムスをプロデューサー&アレンジャーに迎え、グルーヴィーなリズムと胸のす くホーン・セクションをバックに、メロディ アスなサックスが踊るトロピカルサウンドが実現!

デビュー15周年・通算23作目 にして、遂に念願のラテンアルバムがここに誕生した。

 

1999年

自叙伝・第2弾「MALTAのサックス修行一直線」(音楽之友社より)を出版。

88年から97年までの10年間に発表したアルバムから極めつけのバラッド名演をピック・アップした「ザ・バラッド」を発表。

「1999北京国際音楽祭」に世界初のポップ系ミュージシャンとして招かれ、コンサートを開催。

 

2000年

自身のバンドを率いてニュージーランド&ゴールド・コーストで幕開けし、多くのファンを魅了。

 

2001年

10年ぶりに「MALTA Hit&Run」として21世紀をスタート。

第25弾オリジナルアルバム「ONE MORE CHANCEワンモアチャンス」を発表。

 

2003年

日本デビュー20周年を迎え、記念アルバム「HALF MOON STREETハーフムーンストリート」を発表。

自身が監督を務めるバイクチームで「DAYTONA 200MILE(アメリカ)」に参戦。

 

2004年

通算27枚目にして自身初となるJAZZアルバム「MANHATTAN IN BLUEマンハッタンインブルー」(N.Y.録音)を発表。

"SwingJournal選定【ゴールド・ディスク】同アルバムの高音質版“XRCD24”発売。

シーズン・ベスト第2弾「WINTER BESTウィンターベスト」発売。

 

2005年

6月、東京・大阪で開催された「Fete de la Musique au Japon 音楽の祭日」(フランスで24年前に生まれ、2002年から日本でも開催され世界126ヶ国で、6/21に同日開催)の名誉顧問となり、プロ・アマ問わない音楽発展のために尽力する。

 

2006年

8月、通算30枚目にして初のLIVEアルバム「LIVE IN JAPAN-Jazz Up,Back Up,Dress Up,ライヴインジャパン、ジャズアップ、バックアップ、ドレスアップ、」(MBI-2001)を発売。

ファン待望の自然で歴史的なライヴ・サウンドが誕生。

自身のバンドをM.J.Q.plus(MALTA JAZZ QUINTETT.plus)とし活動する。

 

2007年

4月、大阪芸術大学の客員教授に着任し、音楽理論・アンサンブル等の教鞭をとる。

 

2008年

大阪芸術大学の教授に就任する。

「BRASS / MALTA with Siena Wind Orchestra」発売。

通算33枚目にして初の吹奏楽との共演アルバム (ビクターエンタテイメント)

 

2009年

出身地の鳥取県のチャリティーコンサートや、地元の学校でのコンサートやイベントに精力的に参加し、

倉吉天女音楽祭の総合プロデューサーとして、意欲的に地元の吹奏楽団への指導も行う。

インターネットラジオ 「POMPYエンタメランド角淳一の声 ブログ」 出演。

 

2010年

「DROPFLAME~My Hit Songs~ドロップフレーム、マイヒットソング 」と「MY STARDUST~Jazz Standard~マイスターダスト、ジャズスタンダード」2枚同時9月発売。(アトラム・レーベル)

選りすぐりのライヴ・サウンドは、1枚では、収まりきらず、2枚同時発売となった。

ライヴでしか、聴けない新たな歴史的なアルバム。MALTAが全て監修。

 

「哀しき街」原田徳子(元C.Cガールズ)のCDレコーディング参加 2010年11月発売

 

「上海万博 」アジア日本館ジャパン ウィーク フィナーレで公演

 

「MALTA de Chopinマルタでショパン」 (ショパン生誕200年記念アルバム)

 MALTA Hit&Runのメンバーも編曲に携わり、お馴染みのショパンの名曲も独自のサウンドを生んでいる。

 

 

2011年

1月19日ライヴCD発売「LIVE IN JAPAN~Jazz Up, Back Up,Dress Up,」(アトラム・レーベル)

1月21日丸の内・コットンクラブ「MALTA JAZZ BIG BAND」MALTAジャズビッグバンド結成ライブスタート

7月 MALTAジャズビッグバンド初のライヴCD 「MALTA Jazz Big Band~TOKYO LiVE~」発表

 

2012年

7月発売 DVD「ジャズアップ~MALTAジャズビッグバンド~」「JAZZ UP!~MALTA jazz Big Band~」(コンサート収録・初のDVD)

 

2013年

7月、母校 東京藝術大学主催の「Jazz in 藝大」Part 1(東京藝術大学奏楽堂)コンサート

11月発売 30周年記念CD2枚組「MALTA Rock’n / Love Balladz」(マルタ・ロックン/ラヴ・バラッズ)

 

2014年

4月、東京藝術大学 客員教授に就任。

7月、「Jazz in 藝大」Part 2(東京藝術大学奏楽堂)コンサート

MALTAオリジナルマウスピースとリガチャーを開発、"株式会社マルタジャパン"より販売。

 

2015年

野中貿易との正式契約により、MALTAマウスピースとリガチャーを全国展開販売。

7月、「Jazz in 藝大」Part 3(東京藝術大学奏楽堂)コンサート

9月19日発売 MALTAオリジナルシリーズPar1 CD「GRADUATE」(グラジュエイト)

2016年

7月、「Jazz in 藝大」Part 4(東京藝術大学奏楽堂)コンサート

9月19日発売 MALTAオリジナルシリーズPar2 CD「Miracle Rainbow」(ミラクルレインボウ)

9月、東京藝大の教え子たちを中心としてCDプロデュース販売 アトラムレーベル(株式会社マルタジャパンのレーベル)

にて4タイトルリリース

トロンボーンカルテット"Capriccio”「Liverty

Passo a Passo&Akiマツモト"Gdid fuzjoninja"

Saxophone Quintet Five by Five”Five by Five"

アヴァンシア5重奏団"dawn of Avancier"

デビューコンサートとして、Jazz in Geidai at Marunouchiにて

MALTAと共に鮮烈デビューイベントコンサートでは大好評となる

2017年

7月、「Jazz in 藝大」Part 5(東京藝術大学奏楽堂)コンサート

9月19日発売 MALTAオリジナルシリーズPar2 CD「MALTA PLANET 」(マルタプラネット)

Akiマツモト(東京藝大在学中〜現在まで)のオリジナルフュージョンオリジナル曲を指導、プロデュース

9/19 Jz BratにてMALTA Birthday Live

2018年

9/19 MALTAオリジナルシリーズPart 4&5 2枚同時リリース 

「MALTA Festa」

「MALTA Like You !」

9/19 Motion Blue YOKOHAにてMALTABirthday Live

 

文化教育面では「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」で審査員をつとめ、"MALTA賞"が (1991年より) 設立されている。

毎年開催される「倉吉天女音楽祭」の音楽監督、また2011年 度より倉吉市の観光大使に就任。

全国のアマチュア吹奏楽団・ビックバンドのクリニックやジョイントコンサート、そして高等学校芸術鑑賞会など、

青少年・後輩の育成、プロ・アマ 問わない音楽発展に尽力するなど精力的な幅広い活動を繰り広げ、

そのサックス・プレイには観衆のみならず、一緒に演奏した人たちの心に多くの夢と感動を与え続けている。

パワーみなぎるキャラクターで教則本の出版、自叙伝の執筆などジャズ系アーティストの枠に収まらない活躍を続けている。

 

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